こんにちは、
セイミンです。
前回に引き続き、比叡山。
今回は、西塔エリアを完走します。
実は、前回の記事と同じ日(雨上がり)回っています。
ただ、情報が多いので、2回に分けました。
ということで、地図はこちら、武(たけ)先生の地図を使います。

青竜寺(法然さん・真盛さん)

まずは、青竜寺(せいりゅう・じ)を目指します。
横川から、奥比叡ドライブウェイを走ると、峯道レストランまでの、右手に入り口があります。

ですから、レストランまで行ってしまうと行きすぎですので注意。
入り口から、めちゃめちゃ歩きます。
舐めてると、やられます。
体力に自信のない人は、おやめください。
一本道です。


門をくぐると、法然(ほうねん)さんと真盛(しんせい)さんの像が、本堂前にあります。
向かって、右が法然さん(座っている)。
左が、真盛さん(立っている)。

法然さん
法然さんは、言わずと知れた浄土宗の開祖。
知らん人、おらんわな。
私でも知っている(笑)
源空(げんくう)さんとも言います。
お坊さんは、呼び名がいっぱいあって、覚えるの大変。
鎌倉時代、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を爆発的に流行らせた人です。
当時は、難しいお経を覚えられない人とか、高度な学問を受けれない人のために作られた信仰のシステム。
すばらしい。超庶民派
日蓮さんは、「南無妙法蓮華経」(なむ・みょうほう・れんげ・きょう)でした。
シンプル イズ ベスト
しかも、覚えやすい。
真盛さん
また、青竜寺は、真盛(しんせい)さんも修行したところ。
西教寺(さいきょう・じ)の開祖さんです。
西教寺も行かな!
ここで、日課として念仏を6万回唱えたそうです。
はい!? 日課!?
ってことは、1日、6万回!!
真盛さんは、約20年比叡山で修行したらしいから、
5年目に始めたとして、、、
3億2千8百50万回。
…
…
( ;-д-)チ──ン
すいません。私、お坊さん業(ぎょう)、なめてました…
ちなみに、西教寺さんの本堂では、現在も、不断念仏(ふだん・ねんぶつ)が、毎日続けられています。
別当大師御廟(光定さん)【こちらは、東塔】

車に戻ってから、西塔駐車場に向かい、西塔エリアを回る前に、車を駐めて。
光定(こうじょう)さんのお墓に寄りました。
です。

お墓に向かうには、浄土院の右脇を通りぬけていきます。

道なりに進むとお堂があります。
光定さん
光定(こうじょう)さんは、延暦寺(=比叡山)の初代別当(べっとう)です。
延暦寺の初代代表(座主/ざす)は、義真(ぎしんさん)さんと言う人です。
じゃあ、別当ってなに?
って、話になりますよね。
別当は、国が定めた延暦寺代表。
座主は、延暦寺が定めた代表(あとで、座主も国に認められる)
それまでは、延暦寺が勝手に代表を「座主」って言ってただけ。
本来の名前は、「伝法師」(でん・ほっし)です。
- 座主:延暦寺が、決めた代表
- 別当:国が、決めた代表
何か、ややこしいけど、3代目座主・円仁さん(794–864)が座主になった時、光定さん(779–858)も別当になった。
光定さんの方が、年上みたい。
ちなみに、どちらも、最澄さんに会っている。
座主と別当の力関係は?
すいません。わかりません…
椿堂【ここから、西塔】

では、西塔を回って行きましょう!
椿堂(つばき・どう)は、
昔、聖徳太子さんが、比叡山のに登られた時、杖として椿(つばき)の枝を使った。
その枝を、この地にブッ刺した。
それから、芽が出て、ジャックの豆の木状態。
で、その近くに、このお堂が建てられた。
聖徳太子さん、比叡山登ったの!?
マジか…
いや、聖徳太子さん、馬に乗って、富士山越えたから、きっと本当の話!(笑)

箕淵弁財天
「みのぶち・べんざいてん」
比叡山・三大弁財天の1つ。
- 無動寺弁天堂(東塔)
- 箕淵弁財天(西塔)
- 箸塚弁財天(横川)
行くの忘れた…(T_T)
にない堂前の修行の地

椿堂から、釈迦堂に向かう途中、にない堂の前に、親鸞(しんらん)さんと、真盛(しんせい)さんが修行した地があります。
親鸞さん修行の地

親鸞さんは、法然さんの熱狂的ファンで、浄土真宗(じょうど・しん・しゅう)の開祖。
親鸞さんは、京都の青蓮院(しょうれん・いん)の慈円(じえん)さんのもとで、お坊さんになり、比叡山に登る。
ほんで、横川の常行堂(じょうぎょう・どう/にない堂の1つ)で修行して、
法然さんに、ぞっこん。
絶対他力(ぜったい・たりき) = 自分の力ゼロ →100%阿弥陀さまに頼る。
自分の思考停止、自分の選択権一切無し
これは、これで、すごい…
また、「善人が救われるより、まず、悪人救わなアカンやろ!」って言った人(悪人正機/あくにん・しょうき)。
納得。
そら、悪人救ってやらんと、地獄がいっぱいになるわな(笑)
昔のお坊さんは、気合い入っているわ。
真盛さん修行の地

真盛さんは、お話したので、省きます。
恵亮堂(恵亮さん)

にない堂を過ぎて、釈迦堂への階段を降りる前、左手にあるのが、恵亮堂(えりょう・どう)。
恵亮さん
恵亮(えりょう)さんは、2代目代表の円澄(えんちょう)さんの後を継いで、西塔エリアを開発した人。
恵亮さんは、妙法院(みょうほう・いん)の門跡であった堯恕親王(ぎょうじょ・しんのう)さんに、いっぱい寄付してもらって、西塔エリアの基礎を築いた人。
妙法院は、かの有名な三十三間堂(さんじゅさんげん・どう)。
円戒国師寿塔(真盛さん)

恵亮堂の敷地内には、円戒国師寿塔(えんかい・こくし・じゅとう)があります。
寿塔とは、生前につくったお墓らしい。
昔も、終活あったんか。
円戒国師って、真盛さんみたい。
偉いお坊さんは、ほんと、名前多過ぎ…
釣鐘堂

釈迦堂の前に広場があり、そこを左に登っていくと釣鐘堂があります。
相輪塔

鐘を見終わったら、もう一度階段を降りて、釈迦堂の前広場へ。
今度は、相輪塔を目指します。
釈迦堂の脇道を抜けていきます。

真っ直ぐ進むと、右手に、看板が見えてきます。そこを右折しましょう。

看板アップはこちら。

「相輪塔」「ミクロの石仏」と書いてあります。
相輪塔についての勘違い
相輪塔については、ちょっと勘違いしていたところがあります。
最澄さんは、当時、全国の6カ所に宝塔(ほうとう)を建てるのですが、
あ、宝塔とは、お経を入れる塔です。
その6つの内、2つが、比叡山にあります。
しかし、いずれも最澄さんが生きている間に完成しませんでした。
で、この相輪塔が、その「宝塔の1つ」だと思っていたのですが、間違いでした。
「塔」とは、東塔、西塔、
つまり、東塔エリア全体、西塔エリア全体を指します。
ですから、単体の「塔」を指すのではありません。
つまり、この相輪塔は、最澄さんの6宝塔の1つではなくて、
先ほどの恵亮さんが、西塔エリアに宝幢院(ほうどう・いん)というお堂を建てて、その境内にあった塔が、この相輪塔らしいです。
- 最澄さんのいう「塔」 = 東塔エリア全体・西塔エリア全体
- この相輪塔 = 恵亮さんが建てた宝幢院の中にあった塔
やっぱ、勉強大事やな。
弥勒石仏
相輪塔の近くには、ミクロの石仏があります。
きゃわいい!!
あまりに、きゃわいいので、マトリックス的な角度から(笑)



ちなみに、ミクロではありません。普通にデカい(笑)
寂光大師御廟(円澄さん)

こっから、道覚えていません。
何か、地図見ながら、うねうね歩きました。
やがて、円澄さんのお墓に着きます。
キノコじゃない!!
最近、キノコ族(笑)ばかりに出会っていたので、新鮮。
円澄(えんちょう)さんは、比叡山の2代目代表。
何がすごいって、西塔エリアを完成させた人。
いや、すごい人です。
比叡山3つのエリアは、次の順番に完成していきます。
- 最澄さん(創始者) →東塔エリア
- 円澄さん(2代目代表) →西塔エリア
- 円仁さん(3代目代表) →横川エリア
ちなみに、最澄さんは、比叡山の代表にはなっていません。
初代代表は、義真(ぎしん)さんです。
六所宮

六所宮(ろくしょ・ぐう)への道はよくわからん…
下のGoogleマップで、場所探りながら行きました。

六所宮の「六」は、6人の神さま。
- 伊勢(いせ)・大明神
- 八幡(はちまん)・大明神
- 賀茂(かも)・大明神
- 鹿島(かしま)・大明神
- 熱田(あつた)・大明神
- 山王(さんのう)・大明神
このお堂に、6人入れるのかな?(笑)
瑠璃堂

最後に向かうのは、瑠璃堂(るり・どう)。
こちらも、Googleマップの方が分かりやすいです。
ドライブウェイから入ると良いです(というか、それしか道がないです)。

瑠璃堂は、織田信長の焼き討ちから逃れた唯一のお堂。
最澄さん自作の薬師さまが祀られたのが、始まりだそうです。
正教坊

正教坊は、北嶺回峰の石泉坊(せきせん・ぼう ?)の行門室だったらしい(武先生の本より)。
よくわからん。
「北嶺」は、比叡山。
「回峰」(かいほう)は、比叡山から、京都を歩く回峰行者のこと。
「行門」?
ググったら、「行門は自力の修行によって悟ろうとするもの」らしい。
回峰行者 = 自分で修行して悟る
って意味かな?
それに「室」ついているから、その行者さんが、住む?休む?場所ってことから。
今度、聞いて見よ。
まとめ
比叡山は、ホントに面白い!
旅は学び、
学んでまた旅、
セイミンでした。
またね〜。


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